手帳好きが心躍る牧野富太郎の植物図
牧野富太郎を知ったのは、ほぼ日手帳の表紙で彼の描いた植物の絵を見たときだ。
とても繊細なタッチで、緻密に描かれた植物の美しさに心惹かれた。
そのとき、ほぼ日手帳は買わずにそのまましばらく忘れていた。
そうこうしているうちに、牧野富太郎を題材にした朝ドラがNHKでスタート。(私が知らなかっただけで、ほぼ日も朝ドラに合わせて販売されたのかもしれない)
それに伴い、本屋で牧野富太郎の特集コーナーを目にすることも多くなった。
本屋で、掲載されている植物の絵を見たときの感想は、「本来、絵に描き起こして残したいという欲求は、ここからスタートしたのだろう」というものだった。好きなものを正しく記録して整理して残していこう。伝えていこうとするものだ。
私にとって絵を描くということは、趣味であったり、自分にとっての楽しみだったり。創造的に表現をする場だと思っていた。
けれど、牧野富太郎の絵は記録という意味での ″ 描き残したい ″ という想いが強く伝わってくる絵だった。
数冊ある牧野富太郎の関連本の中から、月刊モエを購入。読んでいると、植物誌をつくることが夢だったことが書いており、なぜあれほどまでに植物が緻密に描かれていたのか深く納得してしまった。

気軽に写真で記録を残せる時代じゃなかったからこその産物だとも言えるけど。緻密に描かれているのは、植物の仕組みを伝えるためだった。
手帳好きにとっては、手書きというだけでも心惹かれてしまうし。描きかたの細やかさや、紙の空間の使いかた、補足で書き足された説明文の文字に心躍る。
あー。やっぱり、ノートは面白くて楽しい。人の想いが伝わってくる。
そう思いながら、今日も私はモレスキンを開いて手書きを楽しんでいる。

